2006年 第19回ランナーズ賞受賞者
障害の度合や走力はまちまちだが、皆走ることを楽しんでいる ―目指すはフルマラソン完走―
大阪府富田林養護学校・富養走友会
13年前、知的障害を持つ養護学校の生徒で作られたのが富養走友会。「生きることに感謝して、走れることを最大限に生かしていこう」と結成。田中伸一先生はランニングを指導するだけではなく、仲間を作ったり、大会に遠征して時間を共有することの大切さも感じて欲しいとの願いを込めて走っている。メンバーの中にはIDマラソンで世界記録を狙ったり、国体にも出場する実力派もいるが、会としての目標は高等部3年の間に、フルマラソンを5時間以内で完走すること。マラソンを走った自信が将来につながっていく。そして卒業してからもいいコミュニケーションの場になっているという。
法話の前にマラソン話も僧侶になり、ランニングを一生楽しめる環境を得た
折田兼隆さん
1964年東京オリンピックのマラソンで銅メダルを獲得した円谷選手を見て、同じ世代同じ自衛官として、自分も走ってみたいと思ったのが始まり。当時、佐渡のレーダー基地に勤務していたため、佐渡の島を朝晩10km走るのが日課になった。定年退職後、今までお世話になった方々のお役に立ちたいと僧侶になったのは、64歳。規則正しい生活を送りながら42年来、毎日のランニングは欠かさない。フルマラソンは324回完走、うち196回はサブスリー(3時間以内)だ。
人生の中で良かったことはほとんどランニングをしていたお陰 ―ガンも早期発見で、仕事もランも復帰―
李正順さん
新宿は歌舞伎町に店を構えて31年、パブスナック「ノーラン」のオーナーママ。23歳で韓国から結婚を期に日本へ。東京や大阪の女子マラソンにも出場し、東京都代表としてシドニーマラソン大会へも派遣された。
今年春、初期の膀胱ガンが発覚、内視鏡手術で患部を除去、幸い転移はなく、2日後から歩き始め、その後は10階ある階段でリハビリに努めた。5カ月経てランニングも再開。月に1回のランニングクラブ「ノーランズ」例会が楽しみという。
20年で50回開催! すべて手作り運営 ―鶴沼ウルトラマラソンの名物ディレクター―
高田龍二さん
第1回サロマ湖100kmウルトラマラソン開催の翌年3月、職場のランニング仲間を誘い、霞ヶ浦1周78kmを走れるかどうかやってみよう、と29歳で始めたのが大会誕生のきっかけ。以来、91年までは年3回、以降は年2回のペースで続き、スパルタスロンの優勝者から、初100km挑戦のビギナーまで、幅広いランナーを受け入れる老舗大会として今年8月に開催50回を数えた。行政の力を借りず、全て手作りで運営。高田さん自身、24時間走では日本代表チームの一員として世界大会出場の経験も持つ。