2007 RUNNERS AWARD 第20回ランナーズ賞

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2007年 第20回ランナーズ賞受賞者

ウルトラマラソンの普及・発展を目指す

木戸孝美さん

木戸孝美さん

 サロマ湖100kmウルトラマラソンで、毎年緑色のお揃いのユニフォームに身を包んだウルトラランナーズクラブ(URC)のメンバーたち。1993年の設立時から会長を務めるのが、木戸孝美さんだ。目標は、会員全員がサロマ湖100kmウルトラマラソンを完走すること。
 今では会員が160名を超えるが、メンバーのうち103人がすでにサロマを完走。木戸さん自身も第1回のプレ大会から連続出場をしており、完走回数19回を誇る。「少しでもたくさんの人に完走してもらいたい」との思いで、第13回大会からは制限時間内でゴールできるスピードを刻む「完走請負人」として走っている。その姿はサロマの名物ランナーともいえる存在だ。
 苦しい分だけゴールしたときの感動は大きい。だから1人でも多くのランナーにウルトラマラソンを走ってもらいたい、そして若い人たちにもっとウルトラマラソンに挑戦してもらいたいと思っている。

自分にとってもっとも難しいこと、それがマラソンだった

島袋勉さん

島袋勉さん

 列車事故により、両脚のひざから下を失ったのは2001年4月のこと。千葉県内の踏切で転倒。頭を打って意識を失ったところへ列車が通りかかったのだ。
 脳や目にも障害を負ってしまったが、治療が難しいと言われた高次脳機能障害も自力で克服。リハビリを経て、初めて参加したレースは2004年11月のトリムマラソン(3km)。その1カ月後にはホノルルで初マラソンに挑戦し12時間52分29秒で完走。無謀とも思えることに挑戦した理由をこう語る。
 「人間は困難から逃げたら何もできなくなってしまう。自分にとってもっとも難しいことにチャレンジしようと考えたんです」
 出勤前に自宅近くで行う10kmのランニングがメインのトレーニング。マラソンで5時間を切って長野マラソンに出場することが目標だ。講演活動では自らの経験を企業の経営者や子どもに聞かせるために全国を飛び回っている。

無敵の強さを誇る3児のママさんランナー

星野芳美さん

星野芳美さん

 マラソンの自己ベストは2005年に出した2時間35分58秒(大田原マラソン)。実業団選手をも凌ぐ成績を残している星野さんが本格的に走り始めたのは20歳のとき。会社の上司から元陸上部員の経歴を買われて出場した駅伝大会で、いきなり区間賞を獲得。
 「夢中になるものを探していたとき、ちょうどランニングに出会ったんです」
 これだけの強さを誇るのだから、さぞかしランニング漬けの毎日を過ごしているのだろうと思われるが、そうでもない。平日の午後からはパートタイマーとしてスーパーで働くき、地元の婦人会活動や娘の学校のPTA活動にも積極的に参加している。
 次なる目標は、2008年4月の長野マラソンで2時間35分を切ること。
 「努力はムダになるのが当たり前。だけど、コツコツ練習を積み重ねていれば、ランニングの神様がフッと力を貸してくれて、奇跡を起こしてくれることがあるんです」

皇居ランナーを「銭湯」も応援

【特別賞】皇居ランニングコース

【特別賞】皇居ランニングコース

 皇居を1周する歩道は距離が5km、途中信号がひとつもない上に、適度なアップダウンがあり、幅員も人が横に3~4人並べるくらいはある。幾つかの地下鉄の駅からほど近く、1周の途中に公園も2つある。目を皇居内堀に転ずれば、緑が一杯、お堀に水鳥も見える。走るのに最適なコースなのだ。
 皇居を走る市民ランナーの姿が見られるようになったのは約30年前。本年2月に開催された東京マラソンの影響もあってか、その数は倍増している。そんなランナーの「お助け場所」のひとつが、まわりに点在する銭湯だ。会社を退いたあと、まず銭湯にやってきて着替え、荷物一式を預けて皇居まで走りに行く。最近は皇居ランナーへの便宜としてロッカーやシャワー施設を備えたところも数件登場している。皇居ランニングコースのお陰で、健康志向のランナーが益々増えることは間違いなさそうだ。

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