2013 RUNNERS AWARD 第26回ランナーズ賞

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2013年 第26回ランナーズ賞受賞者

市民ランニングの普及、発展に貢献した人物、団体などを表彰する第26回ランナーズ賞の受賞者を称える授与式が、
2013年11月29日(金)ウェスティンホテル東京にて開催されます。
1988年の第1回以来、昨年までで80の個人・団体が受賞。今回は、谷口義昭さん、若林順子さん、東京夢舞いマラソンが「ランナーズ賞」に輝きました。

選考にあたって

今回でランナーズ賞も26回を迎えることとなりました。1988年に第1回がスタートしてから四半世紀が経ちました。その歴史を振り返り、歴代受賞者、団体の紹介を読み返してみますと、誠に感慨無量であります。過去52人の個人の方々と23の団体、5大会・レースが受賞されております。第1回受賞の個人では財津源吉さん、団体で「熊本走ろう会」と「日本体力医学会・持久走大会同好会」というバランスのよい受賞でした。
ランニングブームといわれました第1回ランナーズ賞のころからブームが定着し、健康文化として今日に至るまでのランナーズ賞の歴史的存在は大きかったと確信しております。
本年の選考は例年と同様、定められた10項目の基準に基づいて、あらかじめ事務局において4件の団体個人に絞られ、選考委員会に託されました。委員会ではそれぞれの内容を吟味すればするほどレベルの高さ、奥深さを感じ、甲乙つけ難い嬉しさのなかにも苦渋の選考となりました。
団体受賞の「東京夢舞いマラソン」は、何といっても現行の「東京マラソン」設立の下地となった手づくりのイベントとして、個人受賞の谷口善昭さんは、家業とランニングの両立、競技力、地域青少年の育成という観点から、若林順子さんはラジオ番組を通じてのランニング情報の発信と、自らのランニングによる普及面の評価に対しての受賞でした。
今回の選考を終えてみますと、ランニングによる社会への影響・貢献ということが高く評価された結果であったと感じた次第です。

200万本を植栽し、75回マラソン完走

谷口善明さん(81歳)

谷口善明さん(81歳)

「スギは植栽して6年ぐらいまでは一生懸命に手をかけることが大切。そうすればその後はすくすくと育ちます」
証券会社に勤務したのち故郷の宮崎に戻り、家族の経営する製材所に勤務。35歳のとき「自分で植林したい」と独立し、以後、100万本植林を目標に皆伐跡地(ハゲ山)を見つけては山主に掛け合うゼロからの取り組みを積み重ねた。これまで広さ700ヘクタール以上、150カ所以上の植林地を管理している。
山仕事に役立てたいとフルマラソンを始めたのは50歳から。週3日河川敷を走り、週3日は山で鍛えた。3時間2分12秒。谷口さんに影響され、息子たちも学生のときからランニング大会に出場。1983年の宮崎ロードレース30kmでは初の親子3人出場で地元新聞の記事となり、四男の結婚式の朝には浅草寺スタートの親子観光ラン。12月の青島太平洋マラソンは帰省してきた息子たちと毎年一緒に出場、家族団らんの場ともなっている。
戦後の焼け野原からの復興する中、林業は県土の76%が森林という宮崎の「ドル箱」産業だった。しかし現在は、携わる人も減っている。
「5人の息子の教育費を捻出するため、(40年で成木になるスギを)断腸の思いで10年ちょっとで伐採したこともありました。今も林業を続けているのは山への感謝があります」
数年前から、スギだけでなく、イチョウやクリ、ウメを植えて育てている。クリ、ウメは無農薬。子どもの体験学習の場として開放し、今年は約600人の親子が来園した。
「イチョウは遊び心で植えています。彩づいているところがあると気持ちが癒される。今は幼木だけど10年たったらイチョウを見ながら100人ぐらいが酒を飲めるぐらいに育ちます。800年後にはこの山がイチョウでいっぱいになりますよ」

関西を盛り上げる「走るパーソナリティ」

若林順子さん(51歳)

若林順子さん(51歳)

「こんにちはー若林順子です! 走ることをテーマに、市民ランナーを応援する番組『Let’s Run!』」
毎週日曜日15時10分、ラジオから流れてくる高らかで元気な声。放送開始は2001年10月。その2年前からランニングを始めていた若林さんは、ある大会に参加していてふと思った。
「おっちゃんとかが、汗ダラダラで走っているんですけど、皆すごく楽しそうなんですよ。アスリートが主役の番組はあるけど、市民ランナーが主役の番組ってないなあと。それで自分で企画して立ち上げたのが『Let’s Run!』です」
以降「走るパーソナリティ」として「若ちゃん」の愛称で親しまれてきた。小さな身体で精力的に現場へ出かけ、信条は「大会取材は必ず走る」「大会をけなさない」。
そして2003年10月、番組から派生して始まったのが、毎週木曜日の夜、京都御所での「わかちゃん練習会」(通称「わか練」)。事前申し込み、参加料なし。誰でもがふらっと、決まった時間と場所に集まってただ一緒に走る。走友会でもない不思議なコミュニティは、今年2013年10月、10周年を迎えた。
「通算462回、参加者数はのべ1万2253人。ここで出会った仲間たちは、かけがえのない財産。続けてきて思うのは、ランニングって孤独なスポーツじゃないなあと。」
そんな草の根活動が実を結び、2012年には京都市長より「おもてなし実践者」表彰を受章。また『ランナーズ』2009年8月号より「若ちゃん通信」(現在は「若ちゃん新聞」)を毎月連載。愛情にあふれた独自の目線で、楽しい関西ランニング情報を発信している。
「わか練も新たなスタートを切ります。これは私のライフワーク、まだまだ走り続けるでぇ~!」

東京マラソンを夢見て始まった手作りイベント

東京夢舞いマラソン

東京夢舞いマラソン

10月13日(日)午前9時前、約1,500人の参加者が国立競技場内に並んだ。9時から約50人のグループに分かれてウエーブスタート(計30グループ)。ゆっくりとしたスピードで競技場の外に出ていく。走るのは歩道。信号では必ずストップ。コース中の至るところにスタッフが立ち、「右に曲がってください」「歩行者の邪魔にならないよう、広がらないでください」などとランナーに声をかけている。
初開催は2001年1月1日。「ニューヨークやロンドンなど欧州には大都市の目抜き通りを走るフルマラソンがあるのに日本にはない。ならばデモンストレーション大会を自分たちで作ろう!」と市民ランナーの有志が立ち上がったのがキッカケだった。第1回は77人が参加し、お台場をスタートして代々木公園でゴール。第2回は150人に増え、第3回以降は1,000人を越えている。NPO東京夢舞いマラソン実行委員会委員長の片岡久さん(55歳)は、
「実行委員のメンバーはそれぞれ仕事を持っているので、出来る人が出来ることをする、というのが原則。年間を通して実行委員会を開いています。コースは毎年変わっているのですが、その時々の注目スポットを必ず盛り込みます。今年のポイントはスカイツリーの前を通ることと、東京ゲートブリッジが見えること。六本木ヒルズ、赤坂サカスなど、新名所ができた年は必ずその前を通るようにしてきました」
2007年の東京マラソン開催により当初の目的は達成されたが、「夢舞いファン」からの後押しも受け、その後も継続することになった。
「東京マラソンの開催が決まった時は嬉しいと同時に自分たちの役割はなくなったのだと複雑な気持ちでした。ただ、それ以降、ランナーが急増していることもあり、街中を走る時の歩行者との共存はこれからのランニング界の課題。このイベントを通して、マナーを啓蒙することが“意義”だと思っています」と語っている。

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