2023 RUNNERS AWARD 第33回ランナーズ賞ページ

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第33回ランナーズ賞受賞者

石井好二郎さん
石井好二郎さん
坂本雄次さん
坂本雄次さん
弓削田眞理子さん
弓削田眞理子さん

第33回ランナーズ賞の受賞者は上記3名の方に決定しました。

選考にあたって

コロナ禍で4年ぶりの表彰となりました。マラソン大会も中止となり、モチベーションを保つのに苦労しながらも、しっかりと走り続けている皆さんのなんと多かったことでしょう。第33回ランナーズ賞を受賞された3人の皆さんは、その代表選手です。おめでとうございます。

石井好二郎さんは、中学生から陸上の長距離に取り組み、大学卒業後も運動処方の研究者として同志社大学スポーツ健康科学部で「運動処方研究室」に属し、いま注目の女子中距離・田中希実選手のゼミ担当教授でもあります。運動処方の研究では、競技力向上や体力向上、肥満・生活習慣病の改善、介護予防などに対し、運動の種類のほか強度や頻度など、より有効な処方となるべく多様な取り組みの研究を行ってきました。また長年、ランニングショップを通して市民ランナーとの交流を行うなど、幅広い活動を行っています。

坂本雄次さんは、東京電力に在社中からランニング仲間を募って日本縦断ランを達成など、ユニークな活動歴を持ち、45歳でランニングをビジネスとして展開すると(株)ランナーズ・ウェルネスを起業しました。ギリシャスパルタスロンの日本事務局を引き受け、日本人参加の入り口をつくり、その後もウルトラマラソンでは、チャレンジ富士五湖、野辺山、丹後、飛彈高山、日光などで多くの100キロ大会を企画、運営しています。毎年夏の「24時間テレビ」番組で出演者ランナーをサポートしてきたほか、特に間寛平さんのアースランでは同行し地球一周を達成しました。

弓削田眞理子さんは、中学から大学まで中距離に取り組み、インターハイ出場、日本選手権入賞などの実績を持つ一方、大学3年生の時に東京国際女子マラソンを見てフルマラソンを走りたいという願望を持ちました。結婚し4人の子供を育てながら走り続け、58歳の時、80回目のフルマラソンでサブスリーを達成。61歳で出した2時間59分15秒が、女子マラソンで世界初の60歳代の女性サブスリーの記録となりました。自己ベストは翌62歳で出した2時間52分13秒。大会出場だけではなく、練習会の開催や練習法の公開など、広く実践活動も行っています。

現在の日本では平均寿命は男性81.6歳、女性が87.7歳。しかし健康寿命は約10年短く、その10年は介護などが必要な期間になります。そして介護保険を利用する要因のトップが運動器の障害です。筋肉、神経、関節など身体を動かす機能の衰えを予防することが、健康寿命の延伸につながるのです。ランニングを通して皆さんに勇気を与え、社会に健康と生きがいを広める石井さん、坂本さん、弓削田さんの益々のご活躍に期待しています。

選考委員会委員長 増田明美

日本のランニング研究を牽引
「研究を通して、より幅広い人に走ることの魅力を伝えたい」

石井好二郎さん(京都・59歳)

石井好二郎さん
同志社大学スポーツ健康科学部の入る磐上館の前で

約40年前からランニングの研究を続け、一貫して「走ることの健康効果」を科学的見地から伝えてきた。

「私は学生時代にランニングの多様性を知り、研究でも『新しい分野』に取り組むことを意識してきました。運動、特にランニングをすることで健康になり、人生が充実することを多くの人に届けたいと思っています」

こう話すのは、同志社大学教授で運動処方を専門とする石井好二郎先生。長年、ランナーや高齢者、子どもなど様々な対象の運動効果や健康をテーマに研究してきた。

石井先生が「スポーツ科学」と出会ったのは高校時代だった。

「中学2年から陸上部だったのですが、高校には専門知識を持った指導者がいませんでした。そのため、月刊ランナーズで豊岡示朗先生(現大阪体育大学名誉教授)の連載を読み、科学的な理論を試すようになったのが、この道に入ったきっかけです」

卒業後、豊岡先生の指導を受けるために大阪体育大学に進学。しかし、相次ぐ故障などで「走ることが嫌になりました」。
そんな中、京都にあったランニングショップ「アスレティック・アティック」で高石ともやさんら、多くの市民ランナーとともに走ることで、再びランニングの魅力に気づいたという。

「旧京都マラソンのコースを一緒に走ったり、ホノルルマラソンに行ったり、たくさんの体験ができました。それまで自分がやっていたのはいかに速く走るか。でも、市民ランナーの方々はそれぞれ違う目的に向かって楽しそうに走っていたんです」

石井好二郎さん
アスレティック・アティックの仲間たちと撮影した1枚。
左上端がフォーク歌手の高石ともやさん。
その右下の白いジャージが学生時代の石井先生

この経験を研究にも生かすようになり、「脊椎損傷者の運動時の体温変化」「児童の体温と肥満」「効果的なウォーミングアップ」「高齢者のサルコペニア対策」など多様なテーマに取り組んだ。広島大学教員時は半分以上が入学後に競技を始めた部員を率いて全日本大学女子駅伝に出場、北海道大学教員時には日本陸連科学委員となるなど、トップ選手にも関わってきた。

「科学委員として夏マラソンの暑熱対策を研究した際は、脊椎損傷者の運動時の体温変化を調べた経験を活かし、物理的に冷やす方法を提案しました。何事も理論の基礎を理解していれば、応用が利くのです」

近年は2021年の東京五輪女子1500mに8位入賞した田中希実選手のゼミ担当教授として、研究を指導することはもちろん、「世界で戦うにはファルトレク(※)が効果的」とトレーニングのアドバイスも送った。

「これからは(中高生の憧れである)田中さんの協力ももらいながら、より幅広い人に走ることの魅力を伝えたいですね。また、ランニングがQOL(クオリティ オブ ライフ=生活の質)の向上につながるというをより深く研究したいと思っています」

※地形など自然環境を利用し、高強度と低強度のランニングを交互にくり返すトレーニング。インターバル走と異なり、距離や細かいペースは気にせずに行うことが多い。「ファルトレク」はスウェーデン語で、英語では「スピードプレイ」という。

いしい・こうじろう●同志社大学スポーツ健康科学部教授。大阪体育大学卒業・兵庫教育大学大学院修了後、大阪市立大学で博士号取得。大学入学後に故障で競技を断念したが、市民ランナーに誘われて再び走り出す。学生時代に篠山マラソンやホノルルマラソンを完走した。現在は日本体力医学会・日本肥満学会・日本抗加齢医学会等の理事・監事を務める。

ウルトラマラソンの普及に貢献したランニングプロデューサー
「市民ランナーが増えれば元気な人も増える」

坂本雄次さん(神奈川・75歳)

坂本雄次さん
大会のプロデュースからランナーへの指導まで、
ランニングの普及に幅広く尽力している

1993年にランナーズウェルネスを創業して以来、日本各地にウルトラマラソン大会を創設してきた。

富士五湖、野辺山、丹後、飛騨高山――。開催地の特色を盛り込んだウルトラマラソンのほか、地元・神奈川で湘南国際マラソンを創設し、24時間テレビ(日本テレビ)のマラソン企画をサポートするトレーナーとしても知られる坂本雄次さん(75歳)。ランニングを始めたのは30歳の時で、当初の目的はダイエットだった。勤務先の東京電力で陸上部の監督を務めながら自らも走り続けた。

ところが、1990年、テレビ番組の企画で東京から大阪まで走っていた間寛平さんとの出会いが坂本さんの人生を変えた。東京から京都までを駅伝形式でつないで走った経験から寛平さんのサポートをすることになり、ギリシャのスパルタスロン(約247kmのレース)にも2年続けて同行。92年からは30年以上も24時間テレビのマラソン企画を支えてきた。

「私はトップランナーではなく、市民が走る姿を世の中に広めたいと思っていました。そのためにテレビは格好の手段。市民ランナーが増えれば元気な人も増えると考えたのです」

その根底にあったのは健康への願いだ。

「実は父親を高血圧で亡くしているんです。人間は30代以降は不健康になりがちですが、走れば自分の身体について知ることができます。自分なりに健康を維持することが大事なのです」

1993年には45歳で東京電力を退社してランナーズウェルネスを起業。ウルトラマラソンの創設・運営に尽力した。チャレンジ富士五湖は寛平さんとの練習会から生まれたもの。月刊ランナーズ誌上で参加者を募ったところ、「来てくれたのは11人で、117kmを完走したのは1人。それが大会ができるキッカケになりました」

坂本雄次さん
間寛平さん(右)とは1990年以来の付き合い。
地球を一周する「アースマラソン」もサポートした

大会を開催する上では社会的な価値も重視している。

「ウルトラの大会はほぼ地方で開催しています。それは複数の自治体が関われて、外部から人が来てくれるからです。地元に恩恵がないと大会を開く意味がありませんから」

一方で、「フルマラソンも開催してみたい」という思いもあり、2007年には念願の「湘南国際マラソン」を立ち上げた。他にも夢の島や平塚で24時間リレーマラソンを開催したり、横浜マラソンの総合プロデューサーも務めた。
昨年で社長を退いて後任に譲ったが、今後も地域振興に関わっていきたいという。

「30年間勉強させてもらったことを生かして、もっといい社会を作っていければと思います」

さかもと・ゆうじ●(株)ランナーズウェルネス会長。東京電力神奈川支店に勤めていた30歳から走り始め、45歳で会社を辞めてウルトラマラソン大会の創設、運営に尽力。間寛平さんを筆頭に、24時間テレビに出演するランナーへの指導も行う。

世界で初めて60歳以上女性サブスリー達成
「人間は無限の可能性を持っている。再び世界記録を出したい」

弓削田眞理子さん(埼玉・65歳)

弓削田眞理子さん
2021年大阪国際女子マラソンで2時間52分13秒をマーク。
22年度の全日本マラソンランキングで、62歳「男性」で
この記録を上回っているのはわずか3人

マラソン完走者の上位約3%にあたるサブスリーを60代女性として世界で初めて達成した。

マスターズで多数の世界記録を持つ弓削田さんが陸上を始めたのは中学時代。埼玉県立川越女子高校では800mでインターハイに出場。埼玉大学では1500mで日本選手権6位などの成績を納めた。マラソンとの出会いは大学3年時。第1回東京国際女子マラソンだった。

「国立競技場まで見に行きました。冷たい雨の中を3時間走り続け競技場に戻ってきた選手たちは、一人ひとりが輝いていました。胸を打たれ、『私もマラソンを走る!』と決めたのです」

教員になっても、夜の暗いグラウンドでひとり練習を続けた。24歳の時、初マラソンとなる東京国際女子マラソンに出場。3時間9分21秒で完走した。その後、結婚し4人を出産。子育て中も走り続け、末っ子が高校を卒業した50代半ばになって都内のランニングクラブに入会。インターバルを取り入れるとスピードがつき、走力が向上した。そして58歳の時、80回目のマラソンで初サブスリーを達成。

「サブスリーをしたいと思うようになった初マラソンから34年かかりました。子育て中心の時期も『サブスリーしたい!!』という気持ちはずっと心に持ち続けていて、子どもたちに夕飯を食べさせた後に走りに行ったり、就寝前の筋トレや通勤ランなどコツコツと走り続けていました」

還暦を過ぎ、61歳で迎えた2019年の下関海響マラソンで2時間59分15秒をマーク。60〜64歳女子マスターズ世界記録(※1)を更新し、世界で初めて60歳以上でサブスリーを達成した女性となった。翌20年、コロナが蔓延。

弓削田眞理子さん
川越女子高校3年時に出場した
インターハイ800mの準決勝

「もともと私はレースに出るのが大好きで、それをトレーニングにしてきました。しかしコロナでレースがなくなり、どうすればいいか考えた末、毎週日曜日にひとりで1km15本インターバル走を行うようになりました」

20年8月の月間走行距離は820kmになった。この走り込みが冬のマラソンで実を結び、翌年1月の大阪国際女子マラソンで自身の世界記録を更新する2時間52分13秒をマークした。

昨年11月から「ランナーズ+inチーム」のコーチを務め、練習法や気持ちの持ち方を多くのランナーに伝えている。会員向け練習会(※2)には、弓削田さんの指導を求めて40〜50人が集まる。

「会員の皆さんから、私自身も大きな刺激をもらっています。現在の目標は、65歳以上の世界記録(※3)を出し、再びサブスリーすること。昨年末の山中伸弥先生との対談の際の『人はどこまでやれるか、それは理論ではない』という(先生の)言葉が私を突き動かしています。人間は無限の可能性を持った生き物。自分の可能性を信じて、これからも挑戦していきます」

※1
弓削田さんが更新するまではフランス人が持つ3時間2分50秒だった
※2
不定期で開催
※3
7月10日時点で65~69歳マスターズ女子のマラソン世界記録は3時間7分51秒

ゆげた・まりこ●埼玉県立川越女子高校教諭。24歳で初マラソンを走り、58歳で初サブスリーを達成。62歳で出した2時間52分13秒が自己ベストで、60~64歳女子世界記録。現在も陸上部顧問として、生徒たちと練習している。

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