2008 RUNNERS AWARD 第21回ランナーズ賞

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2008年 第21回ランナーズ賞受賞者

「ひと」と「自然」を育てたトレイルレース

日本山岳耐久レース(主催:社団法人東京都山岳連盟)

日本山岳耐久レース(主催:社団法人東京都山岳連盟)

 「ハセツネ」の愛称で親しまれている「日本山岳耐久レース・長谷川恒男カップ」が、初めて開催されたのは1993年。世界的なクライマーだった故・長谷川恒男氏の名を冠し、奥多摩主要峰全山を縦走する全長71.5㎞のコースを、制限時間は24時間で走破する大会として誕生した。
 トップランナーの間では、事実上の日本選手権とみなされている一方で、制限時間を歩いても完走できる「24時間以内」と定め、幅広いレベルのランナーに門戸を開いてきた。16回目となる今年の大会は、エントリー開始1日半で定員に達してしまう人気ぶり。裾野の拡大と競技力の向上。そのどちらにもハセツネは大きく貢献してきた。
 また、レース翌週の清掃登山などの活動を通じて、トレイルランが自然破壊ではないことを実証してきた。2008年秋には、トレイルランの普及発展を目的として「東京ハセツネクラブ」を発足。ハセツネで育ったランナーたちが、今後は日本のトレイルランを育てていくことだろう。

「奥川健康マラソン」で地域活性化に大きく寄与

奥川へとへとクラブ(福島県・西会津町)

奥川へとへとクラブ(福島県・西会津町)

 クラブの結成は1974年。結成時から会長をつとめる川上甫(はしめ)さん(1933年生まれ)を中心に、毎朝中学校に集まり3~11kmのコースを走っていた。近隣のランニング大会に誘い合って参加するようになり、あるマラソン大会の帰り道、「ランニング大会を開催すれば、奥川(おくがわ)も元気になるのではないか?」という声があがり、何の知識もないまま、「奥川健康マラソン」を立ち上げることになった。
 第1回大会は1976年。参加料は無料で、経費は奥川へとへとクラブが負担した。選手名簿から横断幕まですべて手作り。参加者は地元を中心に77人。以来33年に渡って運営をサポートしてきた。
 選手におにぎりを用意したり、山菜汁を用意したりと、毎年のようにサービスも向上させていった。老人は応援、婦人・壮年男女は大会スタッフとして住民総参加の大会となり、今では、奥川地区で1年のうち最も賑わう行事。ランニングイベントの開催で、過疎化・高齢化が進むエリアにおいて地域活性化に大きく寄与してきた。

「愛のエイドステーション」は今年で開業22周年

斉藤登久代さん

斉藤登久代さん

 サロマ湖100kmウルトラマラソンで「愛のエイドステーション」と呼ばれる私設エイドを運営しているのが、斉藤登久代さん(1944年生まれ)。普段はランニングとは無縁の生活を送っているが、第1回大会のときに自宅の目の前がコースということを知り、
 「少しでも大勢のランナーに完走して欲しい」
 との思いで、1987年の第2回大会からエイドを開くようになった。
 最初のうちはチョコレートとアメ玉ぐらいのこじんまりしたエイドだったが、ランナーからのリクエストに応えているうちに、今では、パン、キュウリの漬け物、冷たいタオルと温かいタオル、消炎剤、胃薬などなど、オフィシャルエイド以上の充実ぶり。
 出費は毎年10万円以上。それでもエイドを開く理由を尋ねると、
 「何でだろうねぇ(笑)。人が喜んでる顔を見ると、やっぱり嬉しくなるからね。それに、自分ではとても100kmも走れないけれど、同じ感動を味わいたいからかなぁ」
 と照れながら答えてくれた。

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