2009年 第22回ランナーズ賞受賞者
母になったからこそ開けた女性ランナーの未来
佐藤光子さん(47歳)
「子どもを産んで、子育てを経験したからこそ、私の言葉には説得力が生まれたと思うんです。ランナーの皆さんに問いかける時、納得して聞いてもらえている気がします」
大阪教育大学・大学院ではマラソン選手の呼吸循環器などを研究し、心拍の専門家としてランニング指導を行っている佐藤光子先生。自身の妊娠中も心拍を測り、学会で発表したことで話題を呼んだ。初マラソン(ホノルル)を走った29歳の時、愛息・嵐君が生まれた。名前の由来はもちろん走る(ラン)から。
「10 年、15年前はね、初心者と言ってもみんなすでに走っている人が多かった。でもそれがここ数年で、本当にゼロから始める人が増えました。今までは走るなんてことを考えたこともないような女性も、走ろうかなと思い始めているんですよ。可愛いウエアを着て楽しく大会に出たいっていう人もいるし、目的はそれぞれでも、楽しみを見つけるのがうまいですよね」
勝負にこだわり過ぎないほうが、長く走ることができる。生涯スポーツとしてランニングを楽しむ方法を知っているのは男性よりも実は女性だと佐藤先生は言う。ランニング教室の生徒も30代~40代の女性が多く、結婚・離婚・子育て・親の介護などいろいろな悩みを抱えている人もいる。そんな女性たちにとって佐藤先生は走ることの専門家であり、良き相談相手でもある。
「私は真っ黒だから紫外線予防のお手本にはなりませんけどね(笑)。いろいろと苦労することも多くてもそれを外に見せないくらい、走ることは楽しいし、ず~っと長い間続けられるということを知ってほしいなぁと思います。私の無茶な練習方法を、そのまま真似するのはオススメできませんが(笑)、走ることに対しての、姿勢や気持ちを伝えていければいいですね」
自ら道を切り開き九州初のトレラン大会も開催
永谷誠一さん(83歳)
今年83歳を迎えた永谷さんが、これまで自ら立ち上げたり、第1回大会の開催に関わったイベントは10大会近くになる。この中には、所属する熊本走ろう会のメンバーと共に、1973年に日本初の健康マラソンの全国大会として開催した「天草パールラインマラソン」のほかにも「金峰三山山岳マラソン&ウォーク」といったローカル色の濃い大会まで規模も内容もさまざま。共通しているのは、永谷さんの人一倍豊富なサービス精神と行動力あってこそ実現した大会ばかりという点だ。
2008年に始まった、九州脊梁山脈トレイルランに至っては、スズ竹が生い茂り、荒れ果ててしまった古い登山道を10年がかりで仲間と一緒に整備。この登山道はトレイルランナーが走ることで確かな道となり、一般登山客も山に戻ってきたという。初回大会の立ち上げに伴う手間や苦労は全く意に介さず、夢の実現に向けて突き進んでいく。 もともとは趣味の登山に向けた体力づくりのため、38歳の時に走り始めたのがきっかけ。山登りをしていたころから、仲間を集めてさまざまな企画や新しいことにチャレンジすることが好きだった。1981年には、日本人として初めてハワイのアイアンマン(トライアスロン)に出場するなど、好奇心、冒険心は人一倍。日本初のトライアスロン大会として現在も人気を集める「全日本トライアスロン皆生大会」の開催にも関わった。
現在はレースに出場することはないが、毎朝ラジオ体操後のウォーキングを欠かさず、いつでも山に登れる基礎体力を維持している。
「面白かことは、ひとりよりも仲間と一緒のほうがずっと面白くなるとです」
Do Sportsという観点から、九州、そして日本のランニングシーンを面白くし続けているひとりであることは間違いない。
夫婦合わせて167歳 フルマラソン出場を継続中
佐藤喜八さん(83歳)・十四子さん(84歳)
「数年前から、フルマラソンでは家内のほうが速くなりまして。でも、後ろに残して走るよりも、前を走ってくれていたほうが安心して走れますし、ゴールで待っていてくれると思うから頑張れるんです」(喜八さん)
佐賀県鳥栖市で先祖代々続く農業を営む佐藤さん夫妻。もともと走ることが得意だった喜八さんは、1980年、54歳の時、「鳥栖走ろう会」に発足と同時に入会。各地のロードレースに出場するようになった。
最初のうちは、応援として会場に同行していた十四子さんだが、「ただ待っているのも退屈だから」と63歳の時からランナーに。以来、20年以上の年月を夫婦ランナーとして過ごし、80歳を超えた現在もそろってフルマラソンに出場。2008年のフルマラソン1歳刻みランキングでは、喜八さんが83歳の部で2 位、十四子さんは83歳の部1位であると同時に、女性の最高齢完走者でもある。
「夫婦そろって元気に走れている秘訣ですか? 特別なことはしていませんが、農業で早寝早起きと肉体労働を続けてきたのと、自分で作った旬の野菜をたくさん食べていることでしょうか」(十四子さん)
多い時は年間30レース近く出場していたランニング大会も、現在は月1回程度に減らし、無理せず完走をモットーにしている。
「大会に出ても最後尾のほうをトロトロ走るのが精一杯。それでも、この歳になるまで大病もせず、夫婦で走り続けられることはこのうえない幸せだと、毎日感謝しています」
日本の戦後復興を支え、ランニングに取り組むことで、健康に年齢を重ねていく素晴らしさを実現している佐藤さん夫妻。これから超高齢化社会に向かう日本にとって、佐藤さん夫妻の生き方をお手本にすると同時に、私たちランナーに多くの勇気を与えてくれる存在と言えるだろう。