2024 RUNNERS AWARD 第34回ランナーズ賞

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ランナーズ賞とは?

ランナーズ賞は、市民ランニングの普及・発展に貢献した人物、団体などに対して、その功績を称える賞です。1988年の第1回から本年2024年の第34回まで、110の個人・団体がランナーズ賞を受賞しました。受賞者には、主催の公益財団法人ランナーズ財団より、正賞のトロフィーならびに副賞として賞金200万円を贈呈します。

第34回ランナーズ賞

豊岡 示朗さん
豊岡 示朗さん
永井 恒さん
永井 恒さん
富士吉田市陸上競技協会
富士吉田市陸上競技協会
(左/会長代理・宮下清光さん、右/前会長で現在は富士吉田スポーツ協会会長・渡邊正志さん)

第34回ランナーズ賞の受賞者は上記の2名と1団体の方々に決定しました。

「選考にあたって」

ランナーズ賞選考委員会委員長 増田明美

増田明美

暑い夏を彩っていたサルスベリの花からコスモスへ、たすきが渡りました。ランナーの皆さん、ようやく走りやすい季節になりましたね。第34回ランナーズ賞へご応募くださり、ありがとうございました。沢山の中から、受賞された方々を紹介させていただきます。

豊岡示朗さんは、中学3年生から陸上競技を始め、進学した新潟高校でインターハイや国体の400mに出場。東京教育大学では、全日本学生選手権と日本選手権の800mで3位、また箱根駅伝で2年生のときに3区、4年生のときに10区を走りました。大学院卒業後、1971年から大阪体育大学に赴任し、以来44年間、陸上競技部中長距離ブロックの強化と、運動生理学の研究に傾注してきました。市民ランナーの指導も行い、大学を離れた現在は地元の大阪府阪南市でウォーク&ランクラブの活動に携わっています。

永井恒さんは、ろう学校での校内マラソン大会優勝をきっかけにランニングを始めました。先天性の聴覚障がいのため会場で十分な情報を得られない中で、5km、10kmのレースからトレイルランニングやウルトラマラソンまで、47都道府県の大会に参加。20回以上を数える海外レースや、コロナ禍で大会開催がなかった期間中の日本百名山踏破など、常に好奇心とチャレンジ精神にあふれています。今年4月の長野マラソンは3時間21分56秒。60歳以降のご自身の記録では8年ぶりのセカンドベストだそうです。

富士吉田市陸上競技協会は、1967年に発足しました。1970年代から、富士登山競走や関東近郊の大型レースとして人気を集めた河口湖マラソンの運営に携わり、1981年8月には主催大会として火祭りロードレースを開催。その後も、クロスカントリー走、ウルトラマラソン、24時間リレーマラソンなど、多くのランニング大会の主管を担うほか、2004年には自転車レース「マウント富士ヒルクラム」の開催にも尽力しました。その活動の幅広さ、ユニークさは「陸協らしくない陸協」と評されることもあります。

研究者として、チャレンジャーとして、また素晴らしいアイデアで楽しい陸上の舞台を作り続けている陸協の皆さん。共通しているのは、ランナーへの愛情です。これからも夢を走り続けてくださいね。

豊岡 示朗さん

豊岡 示朗さん
(大阪府・78歳)

「スポーツ科学とスポーツ現場の橋渡し」
研究と実践の成果を市民ランニング界に広めた指導者

「陸上競技部中長距離ブロックの強化が条件です」

東京教育大学の大学院修士課程を修了し、どこか大学に職はないかと思案していたとき、開校6年目の大阪体育大学からこの言葉が採用条件として告げられた。新潟市出身、東京で大学、大学院と進んできて関西エリアに馴染みはないが、豊岡示朗先生は西の地への赴任を決めた。その後44年間にわたり、同大学で研究と学生選手の強化に汗を流してきた。

研究テーマの中心は運動処方とVO2max(最大酸素摂取量)、さらに持久性に関する分野を深め、血中乳酸濃度や脂肪燃焼の実験を多くこなした。これらの研究成果を活かしたトレーニングは、陸上競技部男女の800m~1万mの記録更新に大きく寄与。緻密なスケジュールで選手育成を行い、練習メニューのキーワードは「朝練」「ヒルトレーニング」「テンポ走」「乳酸閾値トレーニング」だったと教え子たちは語る。

また、1980年代後半頃からは学生のみならず、マラソンツアーや大会の初心者講習会などを通して、市民ランナーを指導する機会も増えた。きっかけは、東京教育大学の先輩で恩師でもある山西哲郎氏が月刊ランナーズの編集委員をしていた縁による。参加者が年々増えていたホノルルマラソンツアーにコーチとして15年帯同し、自身も毎年完走した。

ランナーズ・ホノルルマラソンツアーのコーチを15年間担当

「この経験がすごくよかった。初めてフルマラソンを走ってダメージの大きさに驚いたり、暑い中の給水について認識を改めたりもしました。自分の心拍数を測ってデータの蓄積をしたし、いろいろな研究課題を得ることができましたね」

市民ランナー指導からデータを集め、12分間走テストによるフルマラソン記録の推定やトレーニング強度設定を考案するなど、研究と実践の内容は競技選手から一般のランナーの間で広く受け入れられた。研究を進める際に被験者となって協力した市民ランナーへの感謝を、豊岡先生は少しなつかしそうな表情で「何回か大学に通ってくれた人もいる。ありがたいです。ほんとうに市民ランナーからはたくさんデータを取らせてもらったなぁ」と口にする。

現在、会長を務める「せんなん里海ウォーク&ランクラブ」の練習では、ラストのペース走で「トレーニング強度を上げたい人はコースに坂を入れて!」「自分で考えて!」と自主性を促すアドバイスをし、またウォーキングをする平均年齢75歳の参加者たちには、自分の体力レベルを知るための目安(Rockport Fitness Walking Test の応用)を伝えてモチベーションを上げていた。

「いまはのんびりやっているから」と言いながらも、やはり“スポーツ科学とスポーツ現場の橋渡し”を続ける研究者兼指導者の豊岡先生だ。

とよおか・じろう●1946年生まれ、新潟県新潟市出身。東京教育大学(現 筑波大学)在学中に箱根駅伝に2回出場。800mで全日本学生選手権、日本選手権ともに3位。同大学大学院修了後の1971年より大阪体育大学で教鞭をとり、運動生理学・運動処方の研究と、陸上競技部中長距離ブロックの指導を44年間行う。教え子は男女合わせて約1000人。日本陸上競技連盟強化委員、日本体力医学会評議員、ランニング学会理事長・会長等を歴任。

1980年代、女子マラソン選手の運動生理学・トレーニング研究のパイオニアでもある

全日本大学女子駅伝2連覇(1984年、1985年)

卒業した教え子との共同研究等も(写真右/「クエン酸濃度と脂肪代謝」で特許取得の石橋剛氏)
せんなん里海ウォーク&ランクラブ主催の「阪南クロスカントリー&ウォークトライアル」は子供から中高齢者までを対象にしたアットホームな大会。今年12月に第4回目を行う。
コースは海沿いの起伏のある草地で、レベルの幅が広いため参加しやすい
» クラブ公式HP

永井恒さん

永井 恒さん
(静岡県・68歳)

自分に負けない、あきらめない、をモットーに
チャレンジを続ける先天性聴覚障がいのランナー

生まれつき耳が聞こえず、話す能力も失う「先天性聴覚障がい」のある永井恒さんは、ろう学校中等部のときの校内マラソン大会がきっかけとなり、ランニングに興味を持った。小柄な体格を「チビ」とからかわれ引っ込み思案な性格だったが、この校内マラソンでは、新聞配達で鍛えた足腰を活かして優勝。自信を得て、高等部では自らが率先して陸上部を創設した。

同じ頃、君原健二さんの本「ぼくはなぜ走るのだろう」(浜上潮児 著)を読んだことも大きかったという。永井さんは本に感動し、長距離走に夢中になった。

長距離ならば、陸上部に専門の指導者がいなくても大丈夫だ、ひとりで走れる。毎日こつこつ練習することで走力を伸ばせる。永井さんはそう考えて練習に励んだが、のちに参加したインターハイ予選で周回遅れの負けを経験し、強くなるためには「ひとりで走る」だけでは足りないことに気付いた。

聴覚障がい者は言葉が喋れないので、健聴者より肺が弱い。倍のトレーニングが必要だ。ライバルもほしい。

富士登山競走(2010年)永井さんは、自分の望みを実現するには「閉じこもらないこと」だと思った。夏休みを利用して近隣の普通校を訪ね、「耳は聞こえないが一緒に練習させてください」と頼んだ。初めて向かったその高校陸上部の監督は、快く承知してくれたそうだ。厳しい練習で苦しかったが、健聴者の仲間と走れる充実感がそれを上回った。

走ることにますます意欲を燃やし、その後、ろう学校を卒業し就職してからも、大学の陸上部や県内の実業団に練習参加をするなど、タフなトレーニングを継続した。実業団選手のスピードにはついていけなかったが、多くの人の協力を得ながら10年間必死に走りを磨き、27歳までに5000m:15分33秒0、1万m:32分49秒5、フルマラソン:2時間31分30秒(防府)と、いずれも当時のろうあ者日本記録を出すことができた。

「マラソンは、僕がろうあ者として生きる上で本当に励みになった」
数年のブランクを経て、結婚や転職など環境の変化が落ち着いた30代後半から再び走り出し、以来、フルマラソンはもちろんウルトラマラソンや海外レースにも積極的に出場。上位入賞や年代別優勝も何度か重ねながら、2024年10月現在までに参加した大会数は、920大会になる。「すごいですね」と人から言われることもあるが、本人によると「ちょっと頑固で、少しやる気があるだけ」だ。大事なのは、あきらめないこと。心の扉を開き、一歩前に踏み出してみること。それだけで新しい世界が開き、物事が前に進み始める。

「マラソンが教えてくれた」
筆談中の永井さんは力強い文字でそう書いた。

ながい・ひさし●1956年生まれ、静岡県磐田郡佐久間町(現 浜松市)出身。先天性ろうあ者重度聴覚障がい1級。ろう学校中等部の頃から走り始め、以後、5000mからフルマラソン、トレイル、ウルトラ、海外レース…と長年にわたり積極的に大会参加を続ける。還暦を過ぎた現在も記録更新の意欲は衰えず、1歳刻みの「2023全日本マラソンランキング」では68歳14位、3時間22分36秒(大阪マラソン)。月間走行距離は約300km。交通車両のない堤防上がホームコースで、不整地も頻繁に走る。

ろう学校高等部時代(先頭)
1998年10月、北京国際ハーフマラソン。総合3位
南アルプス桃源郷マラソンで小出義雄監督と(2003年)
サロマ湖100kmウルトラマラソン(2012年)
1978年から始めた海外ひとり旅は今年7月で100カ国目に。旅先では現地のコミュニティーに連絡し、ろうあランナーと交流することも多い

富士吉田市陸上競技協会

富士吉田市陸上競技協会

(山梨県富士吉田市)

火祭りロードレース、富士登山競走、富士山マラソンほか
県内の大会の積極的なサポートを長年継続

富士吉田市陸上競技協会の発足は、1967年6月。日本中が湧きに湧いた1964年東京五輪の3年後にあたる。人々のスポーツに対する関心や興味が高まり、富士吉田市でも、それまで青年団ばかりだった市民運動会や競技大会に「市民総参加」のような広がりが見えていた。審判や運営の能力向上が求められ、組織的に活動できる母体を作ろう、となった。

設立からの約60年をつぶさに知っているのは、現在会長代理を務める宮下清光さんだ。発足時は高校を卒業したての青年。もちろん組織の役員だったわけではなく、協会に育成・強化される側の陸上選手だった。専門は400m。「陸上競技が好きでねぇ。選手でなくなってからも、平日はふつうに仕事して、日曜は何かしらの競技会を手伝っていた。それで60年近く経っちゃった」と笑う。

定期的な陸上競技会開催や県内選手の発掘、強化合宿…それ以外にも1970年代のジョギングブームを機に、一般の市民ランナーたちが大会参加を求めていた。風光明媚な富士五湖エリアにはスポーツイベントの企画が多く持ち込まれ、富士吉田陸協の主管大会は増えていく。1976年に河口湖マラソンがスタート、’77年に富士登山競走の五合目コース新設、’81年8月に自らが主催の火祭りロードレース誕生。この火祭りロードレースは、450年以上の歴史を持ち日本三奇祭のひとつといわれる「吉田の火祭り」の日、午前中に行われるもの。ランナーからすれば「高地を走る真夏のハーフマラソン」という特徴が際立ち、首都圏を中心に認知度の高いレースとなっていった。

火祭りロードレースは今年で第42回大会を迎えた。初期の頃のスタート地点は、富士浅間(せんげん)神社前。いまは標高1,035m にある広域スポーツ施設、富士北麓公園がメイン会場その後も陸協は、クロスカントリー、ウルトラマラソン、24時間リレーマラソンと多くのランニング大会に関与し、同時に、市民マラソンの記録計測にバーコード計測をいち早く導入するなど、柔軟な姿勢で大会運営の開発に取り組み続けた。陸上・マラソンの枠を超え、2004年には、有料道路の富士スバルラインを使った自転車レース「マウント富士ヒルクラム」の開催にも尽力。当時の陸協会長・渡辺正志さん(現 富士吉田スポーツ協会会長)と現場リーダーの宮下清光さんは、自転車レースの立ち上げのために甲府市役所へも出向いた。その頃を振り返りながら渡辺さんは言う。
「最初は協会内にも少し反発があった。『なんで陸協が?』って。でも、富士吉田でなにかやりたいって外から相談にくるなら話は聞くし、聞いて(その大会が)いいものだと思ったら、そりゃ一緒にやるさ」

この言葉がすべて表しているように思える。宮下さんが「もう腹いっぱいだけどね」と返したので、お二人は大笑いしていたけれど。

富士吉田市陸上競技協会の発展は、経験と多彩なチャレンジに裏付けられたものだといえるだろう。

富士吉田市陸上競技協会●1967年6月設立
名誉会長:渡辺正志、会長:渡辺淳也、会長代理:宮下清光、副会長:戸田 元、渡辺 保、宮下勝正、渡辺泰邦、渡辺 久
〒403-0004 山梨県富士吉田市下吉田 9-25-29

富士登山競走で参加者の安全な走りを支える陸協スタッフと市民ボランティアたち。ボランティア登録は約700名あり、1大会につき300~400名を集めるという

富士山北麓の山梨県富士吉田市を拠点とし、陸上競技を中心に県内で幅広い活動をしている
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